古くより岩手県の玄関口として栄えた大船渡港。 文化と物流の両面から大きな役割を果たしてきました。
コロンブスが目指した黄金の国ジパングと「ケセン」を結ぶ、 ロマンあふれる物語をご紹介します。
「黄金の国ジパング」の金は気仙の金
マルコ・ポーロの東方見聞録に書かれていた「黄金の宮殿」とは、世界文化遺産である平泉の中尊寺金色堂だと言われています。平泉の金は三陸海岸岩手県南部の旧気仙郡(大船渡市、陸前高田市、住田町)のほか、宮城県北部の旧本吉郡(気仙沼市、南三陸町)を含む、一大金山地帯で産出されたものです。
冒険家は気仙をめざす
東方見聞録は後の大航海時代に大きな影響を与えました。コロンブスも、バスコ・ダ・ガマも、マゼランも、この時代の冒険家たちはみな、この東方にあるという未知の黄金郷をめざして航海に出ました。気仙地方は大航海時代の冒険家たちがめざすべき道しるべだったのです。しかし、彼らは黄金の国ジパングには到達できませんでした。
サンタ・マリア号は消えても
コロンブスがサンタ・マリア号に乗って航海に出たのが1492年。500年の時を越え、1992年夏、大船渡市にサンタ・マリア号の復元船が立ち寄りました。この復元船は1991年にスペインから神戸市に寄贈され、神戸市のメリケンパーク公園に展示されていましたが、老朽化を理由に2013年に解体され、今は一部がモニュメントとして残るだけです。サンタ・マリア号は消えても、気仙の金が歴史に大きく関わったことを誇りにし、語り継いでいきたいと思います。